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ギャンブル

生きるために(下書原稿)

その後のテキスト

このテキストは、株、為替、先物、競輪競馬、パチンコ等などのいわゆる『投機、バクチ』と名指しされる勝負に挑んでしまう羽目に陥り、その結果としてほんの僅かな儲けもあったが、結局は多大な損失をこうむってしまったという大多数の瀕死の人々へのメッセージとして書きました。

慌てふためいてパニックになったとしても、しばらくの日にちをじっと耐え忍び、今、自分のいる場所を再認識してみる事で、少なくともかなりの精神的恨悔を空(くう)と化す手助けになると思われるのです。

この世にはもっとひどい貧乏に耐えている人々も大勢いるのだから、あなたはまだましなのよ、などという世間一般の安全な立場しか立った事のない人たちの慰みの言葉などで癒されるほど投機で破産した人間の心中は単純ではないのです。

ここでその理由を書いておこうと思います。
例えば、会社が倒産して無職になって困っているという人々も、離婚して多額の慰謝料をとられて家を売却しなくてはならなくなったという人々も、子供が難病になり多額の出費で貯金がゼロになってしまったという人々も、これらとこれらに類する人々に共通する一点は、その破綻の原因が外部の要因によるという点です。

極端な例を持ち出せば、日本が突然戦争を開始したとして、国民のお金も土地も財産もすべてを国が強制令で奪ったとします。すると、みんなが誰も彼もがスッテンテンになり、皆が平等にスッテンテンになった社会では何が起こるか? そう、友愛と助け合いが始まる訳です。僅かな食べ物を分かち合うようにさえなるのです。一部のずる賢い人間たちはそんな社会の混乱の中で大儲けをたくらみますが、ほとんどの人々は失った資産をいつまでも嘆くことにうんざりし、現実の暮らしに邁進します。坂口安吾の戦中の人々の様子に書かれているのと同じでしょう。

本題の、投機ですべてを失った人間の苦しみは、その原因が自分そのものの欲望と自分の冒した行動だからに過ぎないのです。もし、あの時、こうなっていたら、、、などと何度も自分の失敗を相手(バクチの気ままさ)のせいにして頭の中で繰り返し続け、だから自分が決して間違っていたのではなく、運が悪かったのだと思いたいからなのです。しかし、結果として勝負に負けたのだが、負けとは認めたくない、すなわち自己の自尊心が勝負をした馬鹿な自分を許せないだけなのだと思います。

●すべてを失ってしまった私は、少なくとも株と為替で預金のすべてを失くした時期の私は、後悔と二度と戻りはしないお金への執着を持ち続けていた。

●死を恐れる自分から死を受け入れるのに1日から10日だそうだ。
自分が困ることに立ち向かうのではなく、それを正面から見つめ直すことで、ツッパリではない開き直りが可能となる。何度も苦しみは繰り返して起こるが、それはあたかも株や為替の上昇期の戻しのようなもので、何ヶ月間も経てば苦悩は既に普通に変化する。すなわち、困りごとなんぞは相対的な観念であると言えるのだ。「観念」とは人の心の中で生成された情報である以上、架空でもある。
●すべてを失ってしまったと落胆の苦しみに喘いでいる人たちに声をかけよう。何もかもが崩れてしまったあなたに、それでも今残っているものを書き出してみましょう、と。錯乱したままの精神状態の中では物事の何一つも整理されて思考することなど出来ないのだから、紙に書き出すという行為は客観的に自分とその残された資産を認識するのにかなりの効果を発揮するのだ。芥川が「漠然とした不安」と呼んでそれへの恐怖から死を選んだが、この「漠然とした不安」は紙に書いても消化できないものだろうと思う。それは物理的なものすなわち資産とかお金とか幸福感とかみじめさとかの如く言葉゛では表現できないもの、すなわち人という生き物の中に根源的に棲息している本能とも呼べる空虚感なのだから。

●それでもまだ私の魂は"勝てる筈だ。負けを認めない"と言い張る。

FXにおいては身体を壊さない為にも、「OCO注文」を設定して放置し、刻々と動く分刻みのチャートを連続して見つめ続けないようにするべきだ。見ていても結果は同じなのだし、へたをすると損切りラインを遠くへ移動するという、気弱と淡い期待の悪癖をまたやり、そんを拡大するだけなのだ。

ポジションの方向は長期短期とも検討し、方向を決めたらポジションを採り、指値+逆指値で手から、心配から一時遠ざけ、その数分から数十分間に別の何か意味ある作業ををしてしまおう。それの方がどんなに健康を維持出来るか。ノイローゼも肺炎もお断りしよう。